しあわせだから笑っているのではない。
むしろぼくは、笑うからしあわせなのだ。アラン『幸福論』「77 友情」神谷幹夫訳(岩波文庫)より
え?幸せだから、笑うんでないの?と、原因と結果の関係が逆に思うかもしれません。「幸せ⇒笑う」と考えるのが当たり前に思えますが、アランは、「笑う⇒幸せ」という関係にあると指摘しました。
「満腹だから、食べるのではない。
食たべたから、満腹なのだ。」
とか、
「すがすがしいから、スポーツをするのではない。
スポーツをするから、すがすがしいのだ。」
と書くと、特に奇妙な話ではなく、当たり前のように思えます。「満腹」とか「すがすがしい」とか、そういう状態は、「食べる」とか「スポーツをする」とかいう行動の結果として現れます。「幸福」という状態も、「笑う」という行動の結果、現れるということです。そう考えると当たり前なのですが、私たちは「幸福」に限っては、「状態の方が行動の先に来るはずだ!」と、なぜか勘違いをしているのです。
誰しもが、満腹になりたかったら食べるし、すがすがしくなりたかったらスポーツをする。同じように、幸福になりたかったら、笑えばよいというわけです。
「まず、幸福になってから、笑おう!」というのは、「まず、満腹になってから、食べよう!」とか、「まず、すがすがしくなってから、スポーツをしよう!」というのと同じように、無理な相談なのです。
このように、アランの幸福論は、短い言葉の中に、深い哲学と幸福になるための考え方が凝縮されています。実は、この「77 友情」の一節は、文庫本にして、わずか2ページちょっとなのですが、その中に、もう一つ重要な幸福になるための考え方が示されています。
次の機会に、書いてみようと思いますが、93篇の文章からなるアランの『幸福論』は、幸福になるための道しるべが沢山書いてありますので、皆さんも、幸福になってから読むのではなく、読んで幸福になってもらいたいと思います。