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不運から逃れる方法 その2(前篇)

昨日、「どんなことが起きても『不運』と思わなければ良い」方法の一つとして、「人間万事塞翁が馬」という2000年前の中国のことわざを例に、「不運」に見えて「幸運」、「幸運」に見えて「不運」なこともあるんだから、どんな出来事も、それに直面した時の「喜び」や「悲しみ」の一時的な感情に囚われず、長い目、広い目で見て、簡単に判断しない、というようなことを書きました。

それは、それで長い歴史の中で実践されてきた効果的な方法で、私も使うのですが、私は、それとは違う別の角度でも、幸運と不運について考えています。

貴方は、どんな時に、幸運や不運を感じるのでしょうか?

もし、貴方が1枚だけ買った年末ジャンボ宝くじで、1等7億円が当たったとしたら、「幸運だ!」と思うでしょうか?まぁ、当然、そう思いますよね。なにせ、年末ジャンボ宝くじで、1等が当たる確率は、2000万分の1なのですから。

もし、貴方が、たまたま乗った飛行機が事故に遭い、どうやらもうすぐ墜落して死にそうだ、という状況になったら、「不運だ!」と思うでしょうか?飛行機事故の原因をあれこれ考えたり、事故の責任者を想像して腹を立てたりするでしょうが、飛行機事故で死ぬ確率が、10万分の1以下であることを知ったら、「不運だ!」と嘆くのではないでしょうか。

宝くじの一等が当たって「幸運だ」と思うのも、飛行機事故に遭遇して「不運だ」と思うのも、どちらも、とても小さい確率だから、そう思うのでしょう。

「1万円相当の商品が入っています」と書かれている福袋を買って、実際に1万円相当の商品が入っていて、「幸運だ!」と喜ぶ人は、あまりいないでしょうし、インフルエンザの予防接種をしに病院に行ったら、実際に注射を打たれたことをもって「不運だ!」と嘆く人も、あまりいないでしょう。これは、どちらも、ほぼ100%の確率で、当初予想した通りになったからでしょう。

つまり、「幸運」や「不運」を感じるのは、「必然」ではなく「偶然」と思える出来事に限られるのでしょう。

しかし、偶然の出来事だからといって、必ずしも、「幸運だ!」とか「不運だ!」と感じるとは限りません。実は、微妙なラインがありそうです。

例えば、貴方が、サイコロで「2~6の目は全部当たり」というゲームをしていて、ハズレた場合。すなわち、1の目が出てしまったら、「不運だ」と感じるかもしれません。しかし、「偶数の目は全部当たり」というゲームで、奇数の目が出てハズレた場合、「不運だ」と思うのは大げさで、多くの人は「仕方ないなぁ」と思うのではないでしょうか。さらに「6の目だけが当たり」というゲームでハズレても、「ハズレて当然」と感じるかと思います。

つまり、17%の確率でハズレたら「不運だ」と感じ、50%の確率でハズレたら「仕方ないなぁ」と感じ、83%の確率でハズレたら「ハズレて当然」と感じる。すなわち、「不運」かそうでないかは、「偶然」というだけでなく、その確率の大小に関係ありそうです。

(明日に続きます)

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