不運から逃れる方法 その2(後篇)

(昨日からの続きです)

昨日の最後の部分をまとめると、以下のようになります。

17%の確率でハズレた⇒「不運だ」
50%の確率でハズレた⇒「仕方ないなぁ」
83%の確率でハズレた⇒「ハズレて当然」

さらに、

4本のクジを引いて、1本だけハズレ、すなわち25%の確率でハズレた場合
3本のクジを引いて、1本だけハズレ、すなわち33%の確率でハズレた場合

などを考えてみると、これらの場合を「不運だ」と感じるかどうかは微妙で、人によって違いそうです。それでも、多くの人が「不運」と感じるかどうかは、17%と50%の間ぐらいに、ボーダーラインがありそうです。

面白いのは、「不運だ!」と感じるような出来事が起きなかった場合は、「幸運だ!」と感じることはなく、「幸運だ!」と感じるような出来事が起きなかった場合は、「不運だ!」と感じることはないことです。

昨日、書いたように、乗った飛行機が事故に遭い死ぬ確率は約0.001%で、それに当たると「不運だ!」と感じると思いますが、飛行機が落ちなかったからといって「幸運だ!」と感じることはないと思います。逆に、年末ジャンボ宝くじの1等に当たる確率は0.000005%で、当たれば「幸運だ!」と感じると思いますが、ハズレたからといって「不運だ!」と思うことはないと思います。

ともかくも、人は、「必然」とか「必然に近い」と感じることに「幸運」や「不運」を感じることはなく、小さい確率の「偶然」だと感じることに「幸運」や「不運」を感じるようです。

自分が乗った飛行機は落ちなくて“当たり前”で「ほぼ必然」だから、無事に飛行機の旅が終わった時に「幸運」だとは感じないし、飛行機が落ちた時は「偶然」で「不運」だと感じる。宝くじはハズレて“当たり前”で「ほぼ必然」だから、ハズレた時に「不運」だと感じず、当たった時に「偶然」で「幸運」だと感じるわけなんですね。

しかし、ここにワナがあるんです。「ほぼ必然」は、残念ながら「絶対」ではないんです。自分が乗ってる飛行機が落ちて死なない確率99.999%は、サイコロで奇数の目が出る確率50%や、飛行機が落ちて死ぬ確率0.001%に比べ、極めて高いというだけであって、どれも実は「偶然」なのです。

そして、飛行機は、毎年、世界中で数千万回も飛んでいるため、極めて低い確率であっても、世界中のどこかで、死亡事故を起こし、毎年、千人前後の犠牲者が出ていて、飛行機の誕生以来、死亡事故ゼロの年は、ありません。すなわち、どんなに確率が低くても、毎年、飛行機事故で死ぬ人が出るのは「必然」と言えます。確率は違っても、1000回サイコロを振れば、500回前後は奇数の目が出るのと同様に「必然」なのです。

一個人一個人で見たら、飛行機事故で死ぬのは「偶然」ですが、世界全体で見たら「必然」です。つまり、モノゴトが「必然」か「偶然」かなんて、モノの見方次第なのです。飛行機事故のように、自分に当たる確率が低ければ「不運」だと感じ、サイコロが奇数の目ならハズレのゲームのように、ハズレに当たる確率が高ければ「仕方ない」と感じる。サイコロの目が2以上ならハズレのゲームのように、ハズレの確率がものすごく高ければ、ハズレて「当たり前」と感じる。

「不運」か「仕方ない」か「当たり前」かに本質的な違いはなく、ただ確率の大小が違うだけであって、各人が勝手に「不運」と「仕方ない」と「当たり前」の間にボーダーラインを引いて、その該当する確率に応じて、悲しんだり、諦めたり、当然と思ったりと、感情を動かしてるに過ぎないのです。

このように「不運」という概念は、人間が勝手にラインを引いて造り上げた印象であって、世界のどんな出来事にも、それ自体で「不運」ということはありません。だから、「どんなことが起きても『不運』と思わなければ良い」のです。これで、貴方も「不運から逃れる」ことができるはず…なのですよ。

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