昨日まで「不運から逃れる方法」について書いてきました。幸運とか不運とか超越して生きることが、幸せな生き方だし、実際、世界には、幸運も不運もないのだと思います。ちょっと分かりにくい話ではあるので、思い付いたら、チョイチョイ補足していきたいと思います。
例えば、こんな話はどうでしょう。
歩いて長い旅をしている旅人がいます。ある日、旅の途中で、分岐路が現れました。標識を見ると、左に行くとA町に、右に行くとB町につづく道で、A町、B町ともに5km先にあるようです。しかも、どちらの町からも、最終目的地への距離は同じで、どちらに行っても似たようなものみたいです。ただし、日没まであと1時間で、それまでに、どちらかの町に辿り着いて、ホテルに宿泊したいと思っています。
そこで旅人は、サイコロを振り、奇数ならばA町へ、偶数ならばB町へ行くことにしました。そして出た目は、奇数。旅人は、A町へと向かいました。ところが、その途上で、前日の大雨の影響で、がけ崩れがあり、旅人の旅は完全かつ永遠に終わってしまいました。仮にB町へ向かってたら、旅人は通りがかった友人の車でB町に着くところだったのに…。
さて、そんな場合、旅人は、サイコロの目の偶然に左右されて、「不運」だったのでしょうか?
実は、そうとも言い切れないのです。確かに、分岐路でサイコロを振ってA町に向かうかB町に向かうか、二つに一つの分かれ目で、サイコロの目が奇数となって、A町に向かうことになったのは、50%の確率の「偶然」のように見えます。そこだけを見れば。
しかし、旅人の選択肢は、実は、AかBかだけでは、ありませんでした。
旅人が分岐路に辿り着いた時、A町やB町に行く道の様子が分からず、前日に大雨が降っていたことを知った旅人が、危険を察知してCに引き返す選択もあり得ました。あるいは、分岐路のある町Dで、情報収集を兼ねて宿泊することも考えられます。町や宿はないけど、道から逸れて、EやFやGでキャンプすることもできるかもしれません。そもそも、旅人は、最初から、大雨の影響を警戒して、この分岐路に辿り着く遥か前で、滞在している可能性さえあります。旅人には、そんな無数の選択肢がありました。
つまり、Aに向かうかBに向かうかは「偶然」だったとしても、旅人は、分岐路に至るまでの無数にある選択肢をどんどん減らしていき、ついにはAとBだけに絞っていました。旅人は、「AかBのどちらかに向かうこと」を選択し、「AかBのどちらかに向かうこと」を「必然」にしてしまったのです。
(明日につづく)