人間、生きていれば、運が良い時もあれば、運が悪い時もあるように思えます。
宝くじに当たって10億円を手にする人もいれば、飛行機事故に遭遇して命を落とす人もいる。
駅に着いたら、すぐに電車が来ることもあれば、丁度、電車が行った後ということもある。
人生、運が良いことばかりとか、一度も不運に見舞われることがないとか、そんなことは、なさそうで、不運から逃れる方法なんてのも、なさそうに思えます。
しかし、不運から逃れるのは簡単です。
どんなことが起きても「不運」と思わなければ良いのだから。
「そんなバカな!」「それはインチキだ!」
ほとんどの人は、そう思うでしょう。
しかし、案外、昔から、私と似たような考えの人がいるもので、中国の2000年以上昔のことわざで「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」というものがあります。
昔、中国の北の方に、占い名人の老人が住んでいました。ある日、その老人が大切にしていた馬が、国境を越えて、さらに北の国の方に逃げてしまいました。人々が「不運だったね~!」となぐさめると、老人は「いやいや、これは幸運に変わるかもよ」と言いました。
すると、逃げてた老人の馬は、北の国から優れた馬を沢山、引き連れて戻ってきました。人々が「幸運だったね~!」と祝うと、老人は「いやいや、これは不運のはじまりだよ」と言いました。
しばらくすると、北の国から連れられてきた馬に乗ってた老人の息子が落馬して、足の骨を折ってしまいました。 人々が「お気の毒に、運が悪かったね~!」と、お見舞いすると、老人は「いやいや、これも幸福に変わると思うよ」と言いました。
1年後、北の国からの攻撃で戦争が始まり、ほとんどの若者が戦死しましたが、老人の息子は足のケガのために戦争に行けず、死なずにすみました。
要するに、「不運」と思ってたものが「幸運」であり、「幸運」だと思ってたものが「不運」であり、そして、また「不運」だと思ってたものが「幸運」に変わった、というお話でした。一見、「不運」に見えるものも、実は、次に来る「幸運」につながるものになってることがあるし、逆に「幸運」に見える出来事も、「不運」につながるものかもしれないということで、「幸運」とか「不運」とか、人間には、簡単にはわからないということです。
宝くじで3億円が当たったけど、そのことが周囲に知られると、金目当ての家族や友人たちと醜い争いになったり、金銭感覚がおかしくなって、あっという間に3億円を使い果たしただけでなく、大きな借金まで抱えるようになったりした話も聞きます。
似た言葉で、「禍福はあざなえる縄の如し(幸運と不運は、二つの糸で編んだ一本のロープのようなもの)」ということわざもありますし、最近では、「ピンチはチャンスのはじまり、チャンスはピンチのはじまり」というような言い方もありますね。私は、「人間万事塞翁が馬」や、こういうことわざが大好きです。どんな出来事も、それに直面した時の「喜び」や「悲しみ」の一時的な感情に囚われず、もっと長い目、広い目で見たら、違った意味や逆の意味を持ってくるのは、よくあることですから、簡単に判断しないのは大事なことです。
しか~し!私が「どんなことが起きても『不運』と思わなければ良い」と言ったのは、実は、そういう意味ではありません。だって、飛行機事故に遭遇して死んじゃったら、「不運」と思わなければ良い、なんて簡単には言えないんじゃないですか?(もしかしたら、飛行機事故に遭遇しなければ、もっと辛い人生が待ってた可能性も、あるにはありますが)
というわけで、明日は、私が考える「どんなことが起きても『不運』と思わなければ良い」方法について、書いてみようと思います。